遠い時代のスーパースター達、まだまだ現役で活躍しています!
皆さんの記憶にかすかに残っている遠い昔に活躍したスター達を覚えていますか?引退したか、もしかして亡くなってしまったと思っていませんか?当時日本の芸能界やハリウッドを黄金時代をくぐりぬけた当時、これらの俳優・女優たちは、実はまだまだ現役で活躍しています。
最も驚くべきなのは、その俳優たちが年老いても、未だにパワフルに機敏に、そして何よりも、あの頃よりも格好よく美しく進化していることです。懐かしい遠い昔のスター達がこれまでの時代をどの様に生きてきたか、その軌跡を追ってみましょう。
工藤 夕貴
工藤夕貴は12歳の頃芸能界に歌手としてデビューしました。彼女10代のアイドルの頂点に立ち、計6枚以上のレコードを発表しました。またその後は女優として、1984年の「逆噴射家族」でデビューした後、「戦争と青春」、「ミステリートレイン」、「ヒマラヤ杉に降る雪」などの映画作品に出演し、様々な賞を総なめにしました。そして彼女は現在、映画を通して古き良き日本的な価値観の継承を主張すると共に、またこれまで男性が中心となっていた、日本の映画業界の構造改変にも取り組んでいます。
菊池 凛子
菊池凛子が芸能界入りを果たしたきっかけは、街中でスカウトされたことでした。スカウトされた後、すぐにあの大人気映画「茶の味」・「ノルウェイの森」などに出演しました。イヴ・サンローランやシャネル等の高級ブランドのイメージキャラクターとしても活躍した素晴らしい実績があります。その頃、彼女はさらなる躍進を目指し、英語を猛勉強しました。そしてあのSFアクション映画「パシフィック・リム」の出演を果たしました。さらに近年では、「バベル」への出演によって、日本人女優では50年ぶりとなるアカデミー賞にノミネートされ、ハリウッドで一躍有名となりました。彼女は日本で女優として愛されつつも、世界にも名を馳せる素晴らしい女優へと進化していったのです。
タムリン・トミタ
タムリン・トミタは、アメリカでもっとも有名な日系女優といっても過言ではないでしょう。「Glee」「24 – TWENTY FOUR-」「殺人を無罪にする方法」「ティーン・ウルフ」「ザ・グッド・ドクター」等の人気番組に長年出演していた素晴らしい芸歴があります。実は、彼女は日本語の歌のCDを発表していました。それはきっと数少ない人々にしか知られていない事でしょう。彼女は多くのテレビドラマに出演していたことによって、その溢れる才能が多くのディレクターの目に留まり、映画業界への進出も始めました。「ベスト・キッド2」や「デイ・アフター・トゥモロー」での彼女の活躍から目が離せなかった人も多かったのではないでしょうか?
ケイリー=ヒロユキ・タガワ(田川 洋行)
彼の幼少期は特別なものでした。ケイリー=ヒロユキ・タガワは米軍に勤める父親に連れ添い、様々な場所育ちました。その後高校生になった頃、演劇に興味を持ち始め演劇活動を始めました。「ラスト・エンペラー」や「モータル・コンバット」では素晴らしいアクション演技をしました。俳優業だけでなく、彼は知識人でもあります。驚くことに、人間の体を知り尽くしており、ハワイ大学のフットボールチームではマッサージやリハビリテーションを担当し、同時に自らの体も鍛え上げていました。その経験が彼のアクション能力をここまで高めたと言えます。彼が演劇に興味を持ったのは、女優であった母親の影響でまさに演劇をするために生まれてきたようです。そんな彼は69歳になった今も、引退していません。彼を止めることなど、誰にもできないのです!
真田 広之
真田広之は、日本でも有名な実力派の俳優です。1966年の映画「浪曲子守唄」に始まり、日本の映画業界で次々とキャリアを積みました。その後、あの大ヒット作、トム・クルーズ主演のハリウッド映画「ラストサムライ」に出演して爆発的に人気となりました。彼は、俳優業だけではなく、歌や演劇の活動も行っており、そのイギリス内での芸術活動が英国で評価されました。実は大英帝国勲章を受章するほどの才能の持ち主なのです。そして欧州で近日公開予定の大作映画に出演することが内定しています。彼のさらなる活躍に期待しましょう。
千葉 真一
千葉真一は、1960年代の東映ニューフェイス出演に始まり、日本国内だけではなく、海外の映画やドラマで大活躍したとても有名な俳優です。「ストリートファイター」や「キル・ビルVol.1」、「柳生一族の陰謀」などの大ヒット映画出演し、貢献しました。また歌手としての活動や監督業、映画制作にも携わっていましたが、実は彼を最も有名にしたのは、格闘家としての能力でした。そんな彼は現在でも、和千永倫道というペンネームで映画監督を務め、JJサニー千葉として俳優業に邁進しています。
中山 美穂
あなたは、中山美穂の事を歌手、それとも女優としてイメージしますか?彼女はそのどちらでもあると言えるでしょう。歌手としては、1970年代からトータル22枚ものアルバムをリリースし数々のヒット曲を残し、多くのアーティストたちとの共同制作も行っています。また、女優としては、1995年の「Love Letter」での一人二役や、映画「東京日和」やドラマ「Love Story」への出演し女優としても知名度を上げました。日本アカデミー賞受賞という実績もあります。2002年に、作家兼映像作家の辻仁成と結婚してパリに移住しましたが、2014年に離婚してからは帰国し、現在も女優として再活動しています。
坂本 龍一
坂本龍一の才能は止まる事を知りません。作曲家、シンガーソングライター、俳優、プロデューサーとしても成功し、高い地位をキープしています。その天才的才能で、当然のごとくアカデミー賞・グラミー賞・英国アカデミー賞・ゴールデングローブ賞などに輝きました。彼の楽曲作品は、「コンピューター・ゲーム/ファイヤーフラッカー」や「ビハインド・ザ・マスク」、「ラスト・エンペラー」、「リトル・ブッダ」、「バベル」などで起用されました。この素晴らしい音楽活動を1970年代に所属していたグループ: イエロー・マジック・オーケストラでスタートさせました。その後、東京藝術大学大学院音響研究科の修士課程において、エレクトロニカやワールドミュージックを学びました。彼の音楽の才能はクラシック音楽の檻から飛び出し、多様なジャンルに対応しています。彼の音楽の人気は今も衰えず、直近ではレオナルド・ディカプリオ主演の「レヴェナント:蘇りし者」にも彼の楽曲が選ばれました。
工藤 静香
SMAP解散ショックで、SMAPの木村拓哉の妻である工藤静香も話題になりました。彼女を知らない人は少ないでしょう。彼女はなんと14歳にして歌手としての活動を始め、「かたつむりサンバ」や「Again」といった名曲を世に送り出しました。その後おニャン子クラブのメンバーを経て、ヒット曲をどんどん出しソロ歌手としても成功をおさめました。二人の子供を育て上げ、今では娘二人共モデルデビューしました。現在50代になった彼女は、音楽にその身を委ね、作曲に勤しんでいます。最近では2019年にリリースしたアルバム「Deep Breath」が話題となりました。
チャロ
彼女はいつ生まれ、何故今でもこんなに若々しいのでしょう。彼女は演技、歌、ギターなどマルチな才能の持ち主です。その生涯で1200万ドルもの莫大な財産を築きました。彼女は70歳になってもテレビ番組「ダンシング・ウィズ・ザ・スターズ」に出場するほど若々しいです。彼女が30年以上前に芸能キャリアをスタートさせた当時、驚くべき美しさに、”彼女は整形手術をしている”という噂を立てた人がいたそうです。チャロはそんな噂を気にもせず、自分の思うがまま自分の人生を謳歌してきました。そして人々を楽しませ続けています。
ジェニファー・グレイ
ジェニファー・グレイは、1980年のハリウッドを席巻する人物でした。当時のハリウッド界において、「コットンクラブ」、「ダーティ・ダンシング」、「フェリスはある朝突然に」などの有名作品にどんどん出演しました。実はその頃、彼女は鼻の整形手術に失敗し、その美貌に傷をつけ映画スターの座から転げ落ちてしまいました。そんな不幸に苛まれるなんて、誰も予想していませんでした。それでも強靭な彼女はあきらめず、2010年には「ダンシング・ウィズ・ザ・スターズ」で賞を獲得しました。その美しい姿は、あの頃「ダーティ・ダンシング」で見たその姿と何ら変わりありませんでした。
カイリー・ミノー
カイリー・ミノーと言えば、歌手としての輝かしい功績で有名です。彼女は1988年にファーストアルバム「Kylie」を発表したことを皮切りに、数々の名曲やコラボ作品を生み出しスターの座に昇りました。そして計15枚ものアルバムを世に送り出しました。また彼女はテレビ番組への出演も多く、イギリス・オーストラリアではよくテレビ番組で見かけることが多かったらしいです。さらに彼女はその功績から、大英帝国勲章を授与されています。彼女が有名になったきっかけは、オーストラリアのドラマ「ネイバーズ」に出演したことです。彼女は、乳がんを患いましたが治療を経て癌に打ち勝ちました。そのフレッシュな見た目とは別に彼女は相当強靭な女性です。
フェイス・ヒル
フェイス・ヒルと言えば、カントリーミュージックで一世を風靡した歌手の一人です。彼女はその生涯で何と4000万枚を超えるアルバムセールスを達成しました。またコンサートを開催すれば、そのチケットは瞬く間に完売、2019年時点で、なんと8000万ドルもの富を築いたそうです。彼女は同じくカントリーミュージックの歌手、ティム・マグクロウと結婚し、数多くのコラボ作品を生み出してきました。2017年に発表されたアルバム「私の残りの人生」も、その中の一枚です。フェイスもティムも同い年の52歳ですが、彼女のほうがずっと若く見えます。彼女の美しさは公認されています。
ケイト・ブッシュ
ケイト・ブッシュはイギリスの有名なシンガーソングライターで、1970年から80年代の代表的歌手と言えます。彼女は「嵐が丘」、「あの丘を駆け上がる」、「バブーシュカ」といったヒット曲を次々に生み出し、ロックンローラーとして殿堂入りを果たしました。彼女のデビューは1978年ですが、彼女の音楽人生は、彼女が11歳の頃に初めて作曲をした時から始まりました。彼女のピークの活動期間は比較的短かったものの、その間に10枚のアルバムを発表し、エルトン・ジョンやエリック・クラプトン、プリンスなどの大スター達とコラボレーションをたくさんしました。彼女は現在60代になり、オリンピック閉会式への出演も辞退する等、その活動規模こそ縮小したものの、まだ現役でミュージシャンとしての活動を続けています。
オリビア・ニュートン・ジョン
オリビア・ニュートン=ジョンはその非常に有名な音楽家で、計1億枚以上ものレコードを売り上げています。しかし彼女は、音楽家だけではなく映画女優としてのキャリアにも進みました。彼女が初めて女優としての仕事をしたのは、ミュージカル映画「グリース」でした。そしてその後も映画女優としての道を模索しましたが、残念ながらその道ではあまり成功しませんでした。さらに不幸なことに、彼女は乳がんとの長い闘病生活により長期の休暇を余儀なくされてしまいました。しかし諦めなかった彼女は、乳がんとの闘病生活を経て、今ではその恐ろしさを世に広める為、再び私たちの前に姿を見せてくれています。
エリザベス2世
1952年の戴冠以来、エリザベス女王はオーストラリア、ニュージーランド、カナダ、その他の英連邦諸国を統治してきました。彼女は今もこれらの国を統治しており、したがって、彼女は最も長く君臨している君主と言えるでしょう。彼女は2017年にサファイア・ジュビリーを迎え、英国初の君主となりました。これまでも、スピーチや公式発表会、王室の結婚式、式典などの特別なイベントに出席しながらアクティブなロイヤルであり続けています。彼女の人気は今でも高いです。ロンドンファッションウィークに関連したイベントにも出席しています。王室の歴史に残るファッションアイコンの一人であることを証明しています。
ゴールディ・ホーン
ゴールディ・ホーンは70代になっても目を見張る美しさであるだけでなく、年を重ねるごとにどんどん良くなっていくタイプの女性のようです。アメリカで最も人気のあるこのブロンド女優は、『サボテンの花』でアカデミー賞とグローブ賞にノミネートされました。その後も数多くの役を獲得し、80年代から90年代にかけて最も成功した女優の一人となりました。彼女の美しさの秘密は何でしょう?健康的なダイエットではなく、若い男性とデートすることが彼女に自信を与えているのかもしれません。結局のところ、2017年のインタビューで、彼女は俳優のウォーレン・ビーティでさえも一度は彼女の魔法にかかったことがあることを明かしました。
トム・セレック
80年代、『私立探偵マグナム』は最も人気のあるテレビ番組の一つでした。その主な理由は、いわゆる「目の保養」だったからです。愛され俳優のトム・セレックは、73歳になっても、番組当時の30代と変わらない美男子のままです。昨年150話を迎えた『ブルーブラッド~NYPD家族の絆~』に現在出演中のセレックの勢いが落ちる兆しは、74歳になっても見られません。
リチャード・チェンバレン
俳優リチャード・チェンバレンが有名になったのは、総合病院に勤める若い研修医ドクター・ジェームズ・キルデアを演じた、NBCテレビ番組『ドクター・キルデア』でした。チェンバレンの成功は映画にとどまらず、演劇でも大輪を咲かせました。彼の最も有名な映画は、『ミッシング・イヤーズ/禁じられた愛』、『ロマンシング・アドベンチャー/キング・ソロモンの秘宝』、『狙撃者/ボーン・アイデンティティ』(マット・デイモンが主役のジェイソン・ボーンを演じる何年も前のバージョン)です。チェンバレンは、自分がゲイであることを隠しませんでした。『キング・ソロモンの秘宝2/幻の黄金都市を求めて』で共演したマーティン・ラベットと交際しました。しかし、彼がゲイであることは、1989年にフランスのヌドゥ誌の記事で公表されました。そして、2003年に自伝『シャタード・ラヴ(Shattered Love)』の中で、自身がゲイであることを認めました。
バーバラ・イーデン
若かりし頃に20世紀フォックスと契約したバーバラ・イーデンは、ハリウッドの最高女優の一人です。彼女の6年間のキャリアは、テレビ番組「ジョニー・カーソン・ショー」で始まり、巨大な名声輝きました。「I Dream of Jeannie」の精霊の役でした。脇役の演技の経験を経て、イーデンは彼女の人生についての回顧録を書きました。 彼女はハリウッドのトップに上昇する前の自分の苦労を語りました. その本はニューヨークタイムズのベストセラーリストの14位にランクインしました。
50セント
世間は、50セントが54ポンド(約25kg)も減量したことを知って驚くほど心配しました。その理由が、映画『シングズ・フォール・アパート』でがんと闘う元フットボール選手を演じたことがきっかけだったそうです。彼が病気なのではないかとおびえていたラッパーファンはその事実に本当に安心したらしいです。彼は一体どうやってそんな減量に成功したんでしょうか。強い精神力の持ち主です。
ロージー・オドネル
ほとんどのセレブが減量のために手術をしたことを認めない中、ロージー・オドネルは堂々とその事実を公に公表しました。あるトークショーの司会は、彼女が健康上の理由で皮膚を引き締めるお腹の美容整形を受けたことについて質問したところ、彼女はそのことについてあっけらかんと話しました。この手術によって、彼女は175ポンド(約80kg)落としたそうです。
タイラ・バンクス
スーパーモデルのタイラ・バンクスは、頭の先からつま先まで常に世間の目にさらされている存在です。以前彼女がほんの少し増量した際のメディアの容赦ない取材のせいで大きなスキャンダルになり、彼女は地獄のような生活を送ったそうです。彼女はそういう生活にほとほと疲れ果て、有名になるきっかけとなった体型を取り戻すために厳しいダイエットに臨みました。そして見事元の体型を取り戻し今でもとても美しく活躍しています。
ランディ・ジャクソン
ランディ・ジャクソンがプラスサイズの『アメリカン・アイドル』の審査員を務めていたことは皆さんご存知の通りです。2003年、彼は自分の体重に嫌気がさし、胃のバイパス手術を受けました。それがきっかけで自分が糖尿病を患っていることに気づいたのですが、その時はすでに病気が悪化していてギリギリのところだったそうです。現在の彼は、正しくて健康的な食生活を心がけていて、フィットネストレーナーと共に定期的な運動も取り入れています。
ケリー・クラークソン
ケリー・クラークソンがビルボード・ミュージック・アワードの司会を務めた際、彼女の激やせ具合に人々の注目が集まりました。そのことについて聞かれると、クラークソンは自身が読んだ一冊の本をその理由として挙げました。心臓外科医であるスティーブン・ガンドリー医師が、健康そうに見える食べ物が体重増加と疾病を引き起こす危険性について執筆した本です。彼女は2006年に自己免疫疾患と甲状腺の問題を抱えていたこともあって、健康的な食生活に変えるためにこの本を読んだそうです。減量はさておき、最近のクラークソンが明らかに輝いているのは、彼女のライフスタイルが改善され、より健康になったせいかもしれませんね。